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チベット密教版画展

今年も残すところ後わずか、寒い日が続きますが皆様いかがお過ごしですか?

先日、前から気になっていた町田市国際版画美術館で開催されているチベット密教版画展に出かけてきました。


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密教において仏の姿を描く時、複雑なその姿を正確に描くには高度な知識が必要になります。
そうした必要性から、18世紀頃から伝統的な図像を正確に伝えるために、木版画の制作が始まりました。

今回は東チベットのデルゲというところにある印刷所のものが集められてようです。
1959年からの文化大革命によって、他の多くの木版は失われてしまいますが、このデルゲの木版たちは難を逃れ、現在も印刷が続けられているそうです。

仏の図像ばかりでなく、チベットのお経は、ほとんどこうした木版で印刷されます。


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最近は、チベットのお経もデータベース化が進んで、好きな時に必要なお経をダウンロードしてコピーできる便利な時代になりになりました。

しかし、こうして気の遠くなるような時間をかけて彫られた木版を使って、一枚一枚丁寧に刷られたお経を見ると、
「便利さや効率は悪いかもしれないが、丁寧に時間をかけることによって、私たちは、それの大切さ、貴重さを心から知ることができる」
という先生の言葉を思い出さずにはいられなくなります。


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チベットのすいとん

毎日少しずつ寒さが増してまいりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

寒くなってくると自然に体が温かい食べ物を欲します。
そこで今日は、チベットのテントゥクという日本のすいとんのような食べ物を久しぶりに作ってみました。

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テントゥクは、寒いチベットでよく食べられているポピュラーな食べ物です。
テントゥクの”テン”が伸ばすを”トゥク”が麺を意味するように、野菜を入れたスープの中に小麦粉を練って平らに伸ばした麺を手でちぎって入れただけの、とてもシンプルな食べ物です。

シンプルなだけに食べ飽きず、チベット僧院で暮らしていたころは毎晩このテントゥクが晩御飯として出されていました。
晩御飯の時間になるとお坊さんたちに交じって、テントゥクが入った大きな寸胴の前に並んでこのテントゥクをよそってもらう。
小さいお坊さんたちは、自分の番が待ちきれずにふざけてお互いつつきあっている。

このテントゥクを食べながらそんな光景を思い出していました。

彼らは今日もふざけあいながら温かいテントゥクを待っているのかな。


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Gallery HIMALAYAN ART 牧野


アール・デコの館

日一日と空が高くなり、木々の色づきと共に深まる秋を感じますが皆様いかがお過ごしでしょうか?

昨日、白金の静かな森の中にある東京都庭園美術館、週末限定の夜間開館に行ってきました。


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この建物は1933年に朝香宮邸として建てられたものを美術館として公開したもので、当時フランスで流行したアール・デコ様式の粋を集めて作られ、建物そのものが美術品のような美術館です。
繊細な工芸品等の展覧会が多く開かれ、展覧内容も空間も僕の最も好きな美術館の一つでしたが、大変残念なことに11月から3年間改修工事のため閉館するということで、最後にシンプルだけどこの上なく贅沢なその空間を思う存分堪能してきました。




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海外のアール・ヌーヴォー、アール・デコの本にラリックの代表作として登場するくらい有名な女性をかたどったガラスのレリーフ扉。
玄関にあるため外からの闇の中にバックライトで浮かび上がる天使にも似た女性像が幻想的でした。





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アンリ・ラパンが内装を手掛けた八角形の書斎。
直線的なデザインの中にもベージュのタイルや木目を多用することで自然な温かみが感じられます。




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普段は非公開の第一浴室。
美しい薄緑色の大理石が一面に敷き詰められ、輝く苔の中にいるよう。



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学芸員さんたちが座るパイプ椅子も庭園美術館のものはこんなにもエレガント。


改修工事が終わるのが待ちどおしいと共に、同じように道具としての様式美を極めたところに生まれたヒマラヤの美術品を、この贅沢な空間で鑑賞できたらと思いました。


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トゥルシ・リンポチェ入滅

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チベット仏教ニンマ派の統領であり、ダライ・ラマ14世のニンマ派教義の師でもあるトゥルシ・リンポチェが今月2日に88歳で入滅なされたというニュースが入りました。

僕自身もネパールで「ニンティク・ヤシ」「ドンジョム・テルサル」「ダムガー・ズー」などの多くの貴重な教えの体系をこのトゥルシ・リンポチェからいただきました。
ここ数年はお体の具合がすぐれず面会できない状態が続いていたのでこのニュースを聞いた時、ついにこの瞬間が来たかと思いました。

生前、十分に瞑想修行を積んだ修行者にとって死は忌み嫌う不吉なものではありません。
むしろ肉体を含め、今まで自分を縛り付けていたすべての束縛から自由になれる素晴らしい解放の瞬間なのです。

しかし、後に残された私たちにとってラマ(教師)の死は、道を照らす貴重な明かりを失い暗闇の中に取り残されることに他なりません。

チベットでは偉大なラマたちは、そうして迷う私たちを憐れに思い助けるためだけに、またこの世に生まれ変わるといいます。

一刻も早いトゥルシ・リンポチェの生まれ変わりを自分のため、自分と同じようにトゥルシ・リンポチェを必要とする人々のために祈らずにはいられません。


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幽霊画展

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暑い日が続きますが皆様いかがお過ごしでしょうか?

納涼がてら近所にある谷中・三崎坂の全生庵で開催されている落語家・三遊亭圓朝の収集した幽霊画を展示している「幽霊画展」にぶらりと足を運んできました。

この展覧会はは幕末から明治にかけての落語中興の祖であり、「怪談牡丹燈籠」や「真景累ヶ淵」の原作者として有名な三遊亭圓朝がコレクションした円山応挙や柴田是真、菊池容斎などの作家が描いた幽霊画ばかりを、毎年8月の1カ月間展示しているものです。


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狭い展示室内には所狭しと幽霊たちを描いた掛軸が飾られていましたが、入る前に予想したようなおどろおどろしい雰囲気はなく、半透明でしんなりと立つ幽霊たちの姿に、なぜかしみじみした儚さを感じてしまいました。

どの幽霊も少しうつむき加減でもの言いたげな視線をこちらに投げかけ、死んだ後は物言わぬ肉の塊としてただ無差別に生きた人々を襲う西洋のゾンビとは違い、この幽霊たちのそれぞれの”想い”は肉体を失ってなお存在し、それを訴え続けようとしているように見えました。いや、肉体を失ったからこそ、その果たされなかった”想い”はより純粋になり、それを見る私の背筋を凍てつかせたのかもしれません。


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死してなおそれぞれの”想い”に縛られ続けられる人間という存在の悲しさと、それを洗練した形で表現した幽霊画の透明な美しさに胸が苦しくなるような切なさを感じました。



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