ナモブッダ

ヒマラヤ山脈を臨む国ネパールにはお釈迦様が生まれたルンビニなどすばらしい仏教の聖地が数多くあります。
カトマンドゥ盆地から2,3時間ほど郊外の山間にあるナモブッダの丘も現地ではたいへん有名な聖地の1つです。

ネパール4大仏塔の1つ、ナモブッダのストゥーパ

ナモブッダの丘の頂上にはためく”タルチョ”というチベットの祈りの旗
この聖地にはお釈迦様にまつわるこんな伝説があります。
ある時、お釈迦様は王様の3人兄弟の末っ子の王子マハーサットヴァとして生まれました。
マハーサットヴァは生まれつき優しい気持ちの子供でどんな生き物でも分け隔てなくかわいがりました。
ある時3人兄弟は森に遊びに出かけました。するとそこで出産を終えたばかりの衰弱しきった母虎に出会いました。
母虎は衰弱のあまり母乳を出すこともできず、母虎と5匹の子虎たちが死んでしまうのは時間の問題でした。
マハーサットヴァは虎の親子の哀れな姿に深く心を痛めました。
そして深い哀れみの心とともに、「わたしは他の生き物たちの役に立たないままずっとこの輪廻をさまよい続けてきた。だけどついに他の生きのもの役に立つチャンスがやってきたのだ。」と考えました。
そして母虎に自分の体を食べさせるため、そっと母虎の前に横になりました。しかし母虎は口を開けることもできないほどに弱っていました。

そこでマハーサットヴァはとがった枝で自分の太ももを突きその血を母虎に舐めさせました。そして力をつけた母虎はマハーサットヴァを食べるためにゆっくり口を開けたのでした。
マハーサットヴァは自分の命より虎の親子を慈しみ、虎の親子の命を救うために自分の体を差し出したのです。
この哀れみの行いによってマハーサットヴァは一段高い世界へ生まれ変わりました。そして悟りへの道をさらに進み、やがて仏陀として生まれ変わることになったといいます。
このお話はネパールばかりでなく、法隆寺の国宝玉虫厨子の扉絵のモチーフとなっている捨身飼虎の故事として日本でも有名です。

現在はナモブッダの丘の上にはチベット僧院が立ち並び、多くの敬虔な仏教徒たちが巡礼に訪れています。
仏教徒でなくとも、ナモブッダは天気のよい日に訪れると丘の上から遠くヒマラヤ山脈を望むことの出来る最高のハイキングスポットです。
Gallery HIMALAYAN ART 牧野
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Unmistaken Child

チベットでは人は死んだ後、またこの世に別の生を受けるという生まれ変わりの思想を信じます。
この作品は高僧がなくなった後、長年彼のもとにつかえた一番弟子の僧が占星術や夢、彼自身のインスピレーションに導かれ、最後に高僧の生まれ変わりである男の子を見つけ出すまでを追ったドキュメンタリー映画です。
高僧は生前カトマンドゥ盆地を見下ろす小高い丘の上に立てられた僧院の小さな瞑想小屋に暮らしていました。
高僧はそこであまり人前に顔を出すことがなく、一日の多くを瞑想をして過ごしていたそうです。
彼は自分の寿命を悟り、部屋にひとりで閉じこもり瞑想をしながら亡くなったそうです。
お寺の僧侶の話では高僧が最後の瞑想に入られてから小屋や丘の周りで頻繁に多くの虹が見られたそうです。
また、高僧の死後、彼の遺体を火葬すると驚くことに遺体を燃やした灰の中からルビーや真珠、サフランなどの宝石が現れたといいます。
このように高い精神的境地に達した高僧が亡くなる時にはさまざまな奇跡が現れるとチベットでは信じられています。
またそのように高い精神的な境地に達した高僧はわれわれを導き救うために必ずまたこの世界に生まれ変わってくるものだとも言います。
われわれにはあまり馴染みのないテーマを扱いながらも高僧の弟子の心の葛藤や亡くなった師に対する深い愛情、高僧の生まれ変わりとしてお寺に幼い我が子を預けなければならない両親の複雑な心境などが繊細に記録されている大変興味深いドキュメンタリー映画でした。
Gallery HIMALAYAN ART 牧野
はじめまして
この度、チベットやネパールに伝わるタンカやポーバという宗教画を扱うギャラリーをオープンしました。
宗教絵画というとどうしても私たち日本人には受け入れづらいという印象があります。
日本人は日常のありふれた1コマを美しく描くフェルメールのような画家が大好きです。
それはフェルメールの絵が宗教的なものを排して描かれているからだと言われています。
しかしそうした従来の考えでは最近の国宝薬師寺展、国宝阿修羅展の空前の成功を説明することが出来ません。
そこにあるのは”美しいものはなにであっても美しい”という感覚ではないでしょうか。
それが分りやすい美しさであればあるほどほど多くの人々を感動させるのだと思います。
宗教的に長い歴史や伝統を持つチベットやネパールの仏教美術は実に奥深く重層的な意味に満ちています。
しかし一方でそうした深い意味とは別に直感的に私たちの心を打つ”なにか”も持っています。
そうした絵画のもつ美しさに触れながら、それが意味するものにも興味を持っていただけたら。
これからこのブログを使って8年間を過ごしたネパールでのお話や日常感じた事などを少しづつお話できればと思います。
筆不精ですが出来る限り更新していきたいと思いますので皆様よろしくお願いします。
Gallery HIMALAYA ART 牧野
宗教絵画というとどうしても私たち日本人には受け入れづらいという印象があります。
日本人は日常のありふれた1コマを美しく描くフェルメールのような画家が大好きです。
それはフェルメールの絵が宗教的なものを排して描かれているからだと言われています。
しかしそうした従来の考えでは最近の国宝薬師寺展、国宝阿修羅展の空前の成功を説明することが出来ません。
そこにあるのは”美しいものはなにであっても美しい”という感覚ではないでしょうか。
それが分りやすい美しさであればあるほどほど多くの人々を感動させるのだと思います。
宗教的に長い歴史や伝統を持つチベットやネパールの仏教美術は実に奥深く重層的な意味に満ちています。
しかし一方でそうした深い意味とは別に直感的に私たちの心を打つ”なにか”も持っています。
そうした絵画のもつ美しさに触れながら、それが意味するものにも興味を持っていただけたら。
これからこのブログを使って8年間を過ごしたネパールでのお話や日常感じた事などを少しづつお話できればと思います。
筆不精ですが出来る限り更新していきたいと思いますので皆様よろしくお願いします。
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